制作における「イメージ」とは何か

共通,木彫の道

制作中、ずっとイメージしている

制作では、常にイメージしています。
完成した形を思い浮かべていなくても、
手を動かしているあいだ、ずっと何かを感じ取り続けています。

ここで言うイメージとは、
頭の中に完成図を描くことではありません。

まだ形になっていない可能性を、
思考・言葉・身体感覚を行き来しながら捉え続ける力です。
はっきりと言葉にできる考えもあれば、
言葉になる前の、かすかな違和感や引っかかりもあります。

それらが整理されないまま、
混ざり合った状態で存在している。
その全体を、ここではイメージと呼びます。


イメージは、制作の途中で消えるものではない

イメージは、
制作の途中で「立ったり」「消えたり」するものではありません。

彫っているときも、
手を止めているときも、
迷っているときでさえ、
イメージは途切れずに働いています。

むしろ、
自分が何を考えているかを意識していないときほど、
イメージは静かに制作を支えています。


判断との違い

イメージと判断は、
近い場所で働いていますが、役割は異なります。

判断は、
「ここを削るか、残すか」
「次にどこへ向かうか」
といった、一手ごとの選択です。

一方イメージは、
その判断が向かう方向そのものを、
あらかじめ形づくっています。

判断は、点のように起きます。
イメージは、場のように存在します。

そのため、判断に迷うことはあっても、
イメージそのものが完全に失われることはありません。


イメージが弱いときに起きること

イメージが弱い状態とは、
何も思いついていない状態ではありません。

むしろ、
どの部分も同じ重さに感じられている状態です。

どこからでも彫れそうで、
同時に、どこから彫っても不安が残る。

形が見えていないのではなく、
制作の焦点がまだ定まっていない状態に近いと言えます。


イメージが働いているときの制作

イメージが働いているとき、
制作には不思議な静けさがあります。

判断が速くなるわけではありません。
迷いが消えるわけでもありません。

ただ、
「どこへ向かっているか」だけは揺れません。

一手一手の判断は重くても、
全体としての方向は、すでに引き受けられています。


結び

彫刻において重要なのは、
イメージをはっきりさせることではありません。

曖昧なままでも構いません。
言葉にならなくても構いません。

その曖昧さを抱えたまま、
制作の中に居続けられるかどうか。

判断に追われる前に、
まずイメージの中に立っていること。

そこからしか、
一手一手の判断は生まれてきません。

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