感覚の共有

仏像彫刻心得、心構え

生徒さんに彫刻を教えていると、感覚を共有することの難しさに直面します。 実際に彫っているところを見せながら言葉で説明すると生徒さんが固まってしまっているときがあるのです。 思い返せば私もそのようなときがありました。師匠から指導を受けた当初、何となくでしか言っていることが分からず、見た通り師匠と同じように彫ろうとするのですができないのです。刃物を研ぐときも同じでした。師匠のやり方をまねても、同じように切れるように研げないのです。 しかし今、師匠と技術的な話をしていると、昔のように分からないということはほとんどありません。 では昔と今で変わったことは何だろう、と考えるとひとつ心当たりがあります。 「感覚の差」です。 異なる人間ですから、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚といった五感に当然違いがあります。ですから、彫ったときの感覚や見え方などを言葉で説明を受けても、「感覚の差」により、師匠の感覚に自分の感覚を重ね合わせて理解することができないのです。 この差を埋めるのは大変です。 全く話の通じない異国にきたようなものです。とりあえず異国なので、すぐに理解できなくても問題ないとお考えください。肝心なのは、どのような場面でどのような説明がなされていたのかを覚えておくことだと思います。あとは、彫り続けながら、その説明が意味する感覚をイメージする「忍耐」です。彫り続けていると、その言葉が意味する感覚が分かるときが突然くるのです。 私は、生徒さんに教えているとき、いつもその瞬間が訪れないか期待しながら話をしています。 もちろん、生徒さんから新しい感覚を得ることもあります。生徒さんが私とは異なる感覚で彫っているのが少しでも分かると、「なるほど、そのようなやり方も有りだな」と内心ウキウキしています。 世間では「情報共有」という言葉が頻繁に使われますが、こちらは「感覚共有」というさらに高レベルのコミュニケーションです。簡単ではありませんが、このコミュニケーションを私は大切にしていきたいです。