判断が遅れるとき、何が起きているか
手が止まる瞬間
彫っていると、
刃を入れる前に、ふと手が止まることがあります。
彫れないわけではありません。
けれど、その一手を決めきれない。
そこには、
単なる迷いというより、
どこにも踏み出せていない感覚があります。
問題は「どこを彫るか」ではない
判断が遅れるとき、
問題は「どこを彫るか」ではありません。
何を拠り所にして、
その一手を引き受けるのか。
その基準が、
まだ定まっていないだけです。
ここで扱っているのは、
「イメージ」ではなく、
すでに見えている方向の中で、
どの一手を引き受けるか、という判断の話です。
どれも彫れそうに見え、
同時に、どれを選んでも不安が残る。
だから、手が止まります。
判断基準とは何か
判断基準というと、
正しさやルールを思い浮かべる人も多いかもしれません。
けれど実際は、
もっと個人的で、もっと曖昧なものです。
自分は何を優先するのか。
何を捨てる覚悟があるのか。
どこまでのズレなら引き受けられるのか。
その線の引き方そのものが、
判断基準です。
正解かどうかではありません。
自分の選択として、引き受けられるかどうかです。
判断基準が定まらないとき
判断基準が定まらないうちは、
技術をどう使うかも決まりません。
できることは分かっている。
けれど、どれを選ぶかが決まらない。
選択肢が多いほど、
一手が重くなります。
そして、また手が止まります。
判断基準は、繰り返しの中で育つ
判断基準は、
最初からはっきりした形で存在しているわけではありません。
彫り、
迷い、
選び、
引き受け、
また彫る。
その繰り返しの中で、
少しずつ輪郭が立ち上がってきます。
ある日突然、分かるわけではありません。
ただ、以前ほど迷わなくなっていることに、
後から気づきます。
遅れる時間にも、意味がある
判断が遅れる時間は、
失敗ではありません。
それは、
まだ引き受けられない選択がある、
というだけのことです。
急いで答えを出せば、
先へ進むことはできます。
けれど、その判断は自分のものになりません。
止まる時間を通らなければ、
自分の基準は育ちません。
判断は、速くなるのではない
判断が遅れるとき、
起きているのは問題ではありません。
自分が、
何を拠り所に彫ろうとしているのか。
それが、まだ定まっていないだけです。
その基準が育ってきたとき、
判断は速くなるのではありません。
揺れなくなります。









